ヘブロン旧市街(世界文化遺産)
UNESCO 世界文化遺産
ヘブロンの旧市街は占領下にある為、いくつかある史跡及びヘブロン博物館は、イスラエルによって閉鎖されています。
旧市街の建物は非常に古く老朽化していますが、イスラエルが禁止しているために、増改築ができず、新市街から来ると急に雰囲気が変わるのがわかります。
スーク(マーケット)は一応はまだ残ってはいるものの、上の階に住む入植者による嫌がらせ(ゴミや人糞を下の階の通りに投げ込む等)もあり、閉まっているお店も多いです。
しかしながら、開いているお店ではパレスチナの刺繍製品や、アクセサリー、陶器などを購入することができます。
ヘブロンは、商業の町。日本で言うと大阪のような町で、商人魂のある人たちがとても多いです。
ですので、占領下にあろうが、自分達の土地を守るために強かに生きています。観光客を見るや否や、がんがんに吹っかけてくるお店もあります。
お土産屋さんでは、去ろうとすると初めは 100 NIS だった商品が 50 NIS になる時も。
一体本当の値段はいくらなんだと、疑り深くなってしまいますが、そこはアラブの町。値引き交渉も楽しんで、是非ここでお買物をしてみて下さい。
ここでお買物をすることは、追い出させる為の嫌がらせを日常的に受けているヘブロンの人を勇気付けることにもなります。
エルサレム出発のオルタナティブツアーなどでは、より詳しく、占領下のヘブロンの人々の生活を知ることができ、勉強になると思います。
アブラハム・モスクへのゲート
ヘブロン旧市街のメインストリート(Al-Shuhadah St.)を進んで行くと、アブラハム・モスクへ行くことが出来ます。
ここは、イスラエルが作ったチェックポイント(検問)があり、一人一人金属探知ゲートを通らなければいけません。
ここではパレスチナ人の通行を邪魔する為、よく行列を作らせて待たせるなどの行為が頻発しています。
パレスチナ人の友人と一緒に行ったときも、「ここで何が起きているのか良く見て欲しい」と言われました。
ヘブロンは他の都市よりも、実際に「パレスチナの占領の現実」を間近に見られる都市でもあります。
旧市街の歴史
十字軍からパレスチナを奪回した、イスラム系のアイユーブ朝の時代以降、このヘブロンには「防護壁」のようなものは作られませんでした。
それほど、旧市街の住宅は密集していて、攻略するのが困難だったからだと言われています。イギリスが駐留し始める 19 世紀末までは、町に入るには、必ずゲートを通る必要があったそうです。
旧市街の遺跡(入場不可)
アブラハム・モスクの西側に位置する「スルタンのプール(Birket-es-Sultan/Sultan’s pool)」は 13 世紀後半に建築された、マムルーク朝時代の建築物です。現在は水はありません。
スルタンのプールは、住人やムスリムの巡礼者の為に作られた、巨大な貯水池でしたが、ヘブロンに交易に来る多くのキャラバンも使っていたそうです。住人と異邦者が活発に交易を行う、重要な場所だったよう。
また、19 世紀後半に作られたと見られるハンマームと呼ばれる公衆浴場も、メインストリートである Al-Shuhadah st.に残っています。
その一つがエド・ダリ・ハンマーム(Ed-Dari Hammam)で、マムルーク朝時代のスタイルで作られました。
こういった遺跡が、近い将来、自由に見られるようになるといいですね。