聖墳墓教会
聖墳墓教会(The Church of the Holy Sepulchre)は、イエスの墓とされる場所に建てられた教会です。エルサレムの旧市街の中にあります。
キリスト教徒にとっては、イエスが生まれた場所に建てられた聖誕教会と並んで最も重要な教会で、常に巡礼者や観光客で溢れています。

十字架を背負わされてヴィア・ドロローサを歩いたイエスはこのゴルゴダと呼ばれる場所で、十字架の刑に処せられ、亡くなった後、ここで復活したと伝えられています。
キリスト教地区にこの教会はありますが、教会への入り口は非常にわかり辛く、子ども達が「こっちこっち」と案内してくれようとしますが、その後はお金をたかってきます。お気をつけ下さい。
聖墳墓教会の歴史
336 年
ローマ皇帝のコンスタンティヌス 1 世が、母親のヘレナの助言を受け、ここに最初の教会を完成させる。
ヘレナはこの場所へ巡礼に来た際、イエスが磔にされた聖十字架や聖遺物を発見し、この場所が「イエスが磔刑に科せられた場所」とわかったのだとか。

熱心なキリスト教徒であった彼女は、326 年にもベツレヘムの聖誕教会を息子のコンスタンティヌス帝に建てさせる。
614 年
ササン朝ペルシアがエルサレムを攻撃。聖墳墓教会は破損を受け聖十字架も奪われたものの、東ローマ帝国はこれを取り戻し再建。
638 年
パレスチナがイスラム勢力のウマイヤ朝の支配下に。しかし教会は破壊されることなく存続。
1009 年
ファティマ朝のカリフ・ハーキムの命令により、教会が破壊される。
1025 ~ 28 年
教会が再建される。
1033 年
大地震によって崩壊。
その後、ファティマ朝の許可を得て、キリスト教徒は再び教会を建てる。
1042 年
東ローマ皇帝コンスタンティノス 9 世モノマコスが資金を得て、大改修が行われる。この頃には既に 3 つのチャペルが建ち、8000 人ほども収容出来る程の広さを持っていた。
1099 年
十字軍がエルサレムを制圧。十字軍は更に豪華なものへと教会を改築、現在残っている聖墳墓教会は、大部分がこの頃のものとのこと。

1187 年
パレスチナが再びイスラム勢力のサラディン王に制圧される。サラディン王は聖墳墓教会を壊さず、キリスト教徒を保護。
###13 世紀~ 16 世紀
1250 年のマムルーク朝時代は、教会の改修は許可されていませんでしたが、1517 年にエルサレムがオスマン帝国に譲渡されると、小規模の改修のみが許されるように。
このイスラム勢力の下、次第に教会は放置されるようになり、荒れ果ててしまう。
###19 世紀頃
1808 年の火事で教会は大破。1853 年にはクリミア戦争でも一部破壊される。
この頃からユダヤ人がパレスチナの地に戻るシオニズム運動が徐々に高まり、教会も海外からの研究者達によって、調査が行われるようになる。
###20 世紀以降
1927 年の大地震で、教会は大きく崩壊。しかしイギリスの援助により改築される。
1947 年以降にエルサレムがヨルダンの管理下に置かれると、ヨルダンやギリシア正教会によって、改修が進んだ。
聖墳墓教会の見学
イエスの墓は常に多くの巡礼者の行列が出来ており、1 ~ 2 時間待つ場合も。

墓の前の礼拝堂(Catholicon)は、ギリシア正教では「世界の中心」と言い伝えられている場所。
中央のドームには、イエスと使徒のフレスコ画があり、こちらも必見です。

イエスの墓の中までご覧になりたい場合は、早朝か日没前など、巡礼者や観光客が少ない時間を狙って行くのがいいと思います。
また、入口すぐの香油の台の目の前にある、イエスが十字架から降ろされ、香油を塗られて埋葬されていく様を描いたフレスコ画も見事です。

見どころが多い教会ですので、事前にキリスト教やイエスの生涯について学んでおくと、より見学が有意義なものになると思います。
聖墳墓教会の情報
- 日~木(夏季)5:00-21:00(冬季)4:00-19:00
- 無料
